teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


あまりにも大きなものを突然、失いました

 投稿者:ゲントクメール  投稿日:2009年 5月20日(水)19時47分44秒
返信・引用
   RCサクセションのボーカリスト、忌野清志朗さんが亡くなられました。闘病生活から復帰もし、心配もし安心もしていたのですが、突然の訃報に大きなショックを受けています。自分の中で文化人の死としては黒沢明監督以来の衝撃です。ただ黒沢監督は高齢で衰弱していた事も伝わっていたので、覚悟の上の訃報でしたが、忌野さんの場合は、復活を確信していたので、突然、大きなものを失った欠落感を感じざるおえませんでした。ロックミュージシャンとして58才という年齢、デビュー以来、精力的な活動を続け、数ある作品を生み出し事を考えれば、やるべき事はやり切った旅立ちとも捉えられそうですが、60になっても70になっても、自然体で良い唄を歌ってくれたでしょうし、まだまだ無限の可能性を持っていたのは、彼のファン、理解者なら誰でも認める所でしょう。偉大な先達、ビートルズやストーンズがそうだっように、キュートな悪ガキであり続けた忌野清志朗は、日本のロック史上、紛れも無く一番だったのではないでしょうか。
  こんなにも早く、彼の全キャリアを振り返れる日が来るとは予想できませんでしたが、彼の作品をもう一度聴き入って、自分のインスピレーションにしたいと思っています。
 
 

所選手にエールを

 投稿者:イモカワメール  投稿日:2009年 4月13日(月)13時17分31秒
返信・引用
  最近、戦績が芳しくない所選手ですが、個人的に、ずっと応援しています。プロの格闘技は運やメンタル面、オーラなどが大きく左右する世界ですが、所選手は今、ぎりぎりの所にいるかもしれません。彼は何が飛び出すか分からないアーティストタイプだと思うので、はまると凄い結果を出しますが、それると厳しい事になります。ともかく自分が勝つ、自分が一番だというイメージを常に強く持ち続けて、強気の思い切りの良い試合をして欲しいです。あとは、山本篤選手との試合のような、明らかな作戦ミスをせず、ブレーンと共に適切な戦略を立てて欲しいです。  

格闘競技のメンタル面での男女の差異

 投稿者:イモカワですメール  投稿日:2009年 4月 7日(火)18時38分43秒
返信・引用
   以前、キックボクシングの元全日本王者の先輩と話をしていた時の事、先輩が格闘技は、やはり男が主流だという事を言っていたので、自分は、最近の試合を見ていると、女子選手の方が試合度胸があるような気がすると、軽く反論しました。すると先輩は「そうかもしれないね。ムエタイでは、女には八百長は出来ないというからね」と意外な発言を。つまり女子選手の場合、あらかじめ筋書きを打ち合わせても、打ち合っているうちに、理性が飛び、筋書きがこなせないというのです。確かにキックボクシングなど直接打撃のスポーツは見た目も実際も激しく、感情も一線を超えている様に見えますが、通常は理性が残っていて、本能が剥き出しの取っ組み合いの喧嘩をしているのとは違うのは、私も経験上、分かります。喧嘩とは理性をなくした人間同士のどろどろしたぶつかり合いであり、さわやかに終わる事はありませんが、スポーツは違います。格闘技の場合、他の競技と違い、相手の体を直接、攻撃しダメージを与えるもので、過激な反面、精神的肉体的な激しさを乗り越えてのさわやかなノーサイドこそ醍醐味だと思います。しかし、私個人は女子の試合に関して、それを感じる事はあまりありません。人間の場合、身体の機能や形態の違いからも男女で気質の違いが生じてくる事は、精神医学などの分野でも常識だと思いますが、もしかすると格闘技は、唯一の男女のメンタル面の差異があるスポーツなのかもしれません。  

引き続き...

 投稿者:コウテツメール  投稿日:2009年 3月26日(木)09時11分4秒
返信・引用
  日菜太選手のファイトスタイルですが、キックの名門ジムであった、山木ジムの選手を思い起こさせるものがありましたが、それもそのはず、彼の所属する湘南格闘クラブの会長は岡林氏なんですね。山木ジムの草創期にヘビー級の選手として活躍された方です。私がAPFの興行プロデューサーをしていた時にも、レフリーをやっていただいた事があります。人格、実力を兼ね備えた方で、私も尊敬しております。ただ、私の最後の試合で、ペナルティーをおかした上、惨敗した時のレフリーが岡林さんだったのが、大きな心残りとなっています。MMAの試合はもう無理なので、立ち技の試合をやって名誉を回復したいです。  

過日のK-1MAXを見て

 投稿者:コウテツメール  投稿日:2009年 3月18日(水)12時01分22秒
返信・引用
   一番、印象に残ったのは日菜太選手です。サウスポーからの左ミドルで相手のガードした腕を粉砕。ここ数年、見る事のなかったスタイルの選手だと思います。ハートも強そうだし、まだ学生という事で年令的にも若く、うまく育てばMAXのトップクラスに踊り出る事も可能でしょう。ただ、次回のMAXで、長嶋選手が初代世界王者アルバートクラウスと対戦しますが、日菜太選手のような、これからの選手のマッチメークには、主催者側も気を使ってほしです。チャンピオンクラスといきなりあてる事はブレイクする可能性もある反面、潰してしまう事に繋がりかねませんから。
  一日に二度、負けた前回王者の城戸選手。パンチが主流のK-1に於いて、ハイキックや飛びヒザなどキックボクサーらしいセンスを見せてくれる選手で期待していたのですが、今回の試合を見た限りでは、かつてのオーラを取り戻すのは難しいでしょう。
  決勝の小比類巻選手と佐藤選手ですが、佐藤選手は今回、コンディション、気迫ともに最高だったのではないでしょうか。最終回にダウンを奪い返したのは圧巻でした。対してコヒ選手は、またも精神的弱さを露呈しました。序盤から圧倒しながら倒し切れないようでは、世界トーナメントは厳しいでしょう。
 

合同ジムワーク開始

 投稿者:コウテツメール  投稿日:2009年 3月11日(水)15時07分14秒
返信・引用
  キックボクシングの合同ジムワークを始めました。場所は品川総合体育館(五反田・大崎駅より徒歩6分)で、日曜午前11半より午後1時半までです。施設使用料200円のみで参加できます。  

ジョン・レノンについて Ⅱ

 投稿者:コウテツメール  投稿日:2009年 2月22日(日)02時57分19秒
返信・引用
    ジョン・レノンが亡くなった時、元大統領だったかな、弔電が送られた。
「彼らは時代のイメージを造り出した」
そう、ビートルズが造り出したのは、まさしくイメージ。イメージは無形で無限。イメージは可能性。時に目に見え、時に耳に聞こえるもの。
  1999年、年末のNHKのインタビューだったかな、最後にオノヨーコさんが言った。
「ジョンは本当にかっこよかったでしょーう」
ジョンの40年の生涯とアーティストとしての評価は、このひとことで決まり。
 

ジョン・レノンについて Ⅰ

 投稿者:コウテツですメール  投稿日:2009年 2月22日(日)02時27分42秒
返信・引用
   ジョン・レノンなんて街のチンピラが、自分がビッグだと信じてら、本当にそうなってしまったの典型だ。だけどロックンロールとは、そういうもの。ロックンロールに特別な才能や訓練なんていらない。あるのはセンスのみ。
 成功は才能や努力によらない。成功できると信じ続けることによるのだ。ジョンの残した最も有名な言葉。
 

とある講演から

 投稿者:孔哲メール  投稿日:2009年 2月21日(土)16時54分30秒
返信・引用
    今週の日曜、とある新聞社の高名な編集者の講演を聞く機会を得ました。ある世界的指導者の提言をもとにしたものでした。
  印象に残った発言を二つ上げたいと思います。まず、現代が個人と金の時代だということ。振り込め詐欺で老人から、なけなしの金を巻き上げ、窮地に追い込み、自分達はキャバクラで遊ぶ若者達。彼らには老人という他者は存在しない。しかし、トレイダーなども発想は変わらず、そこには個人と金しか存在しないということ。講演者は鬼平半か帖のファンで義賊の話から、泥棒が良いとは言えないが、そこには他者があったという事も述べていました。私も約五年前、四十を過ぎたあたりから、今の日本人は、金の事と自分の事しか考えていないという発言をしていました。また、一昨年は、宅配の助手をした時は、随分と面白い人に出会った反面、真面目な仕事をして真面目な生活をしていても心は荒み切った人もいるんだなという体験もしました。
  もうひとつは、レッテル貼りは良くないということ。例えば、「勝ち組」「負け組」とか。現代のような社会だからこそ、一対一の心の交流が大切だということ。
  他にも現代社会を考察し示唆する、興味深い発言が沢山ありましたが、また、機会があれば。
 

格闘技って、何だろ

 投稿者:孔哲メール  投稿日:2009年 2月21日(土)13時57分37秒
返信・引用
  以下は、去年、書いたエッセイです。私の状況も時代の状況も、変わっているので、ズレている所や勘違いもありますが、何かの一助になるかもしれませんので読んで下さい。

  私は格闘技という言葉が嫌いだ。意味自体が不明瞭だから、言葉の存在自体を否定して来たと言ってよい。あまりにも幻想や勘違いが含まれた曖昧な言葉なのだ。
 かつて、編集者で空手家の山田英司氏は「あるのは格闘技界であって、格闘技なんてものはないんだ」という発言をしている。氏が言いたい事を私なりに代弁させてもらえば、競技として行われる格闘技もあれば、実戦を想定した鍛練を目的としているものあり、また伝統や様式を訓練し伝承していくものもあり、さらにはそれらの折衷型のものもあり、これらを一くくりに格闘技という言葉で表わすのは無理だという事であろう。
  しかし現代では、格闘技という言葉は、主に格闘競技の意味で使われる事が多い。おそらく、それは、K-1、アルティメイト等を震源とする、ここ十数年来の格闘技ブームによる影響が強いと思われる。プロの格闘技は残酷性を有しているが、直接的でスリリングなため、娯楽性も高い。また、やる側にとっても、総合的な高い身体能力と恐怖を乗り越える為の精神力を必要とする。格闘競技はスポーツとしての魅力に満ち溢れたものでなのだ。ならば競技としての普及は、必然であろう。
 しかも、現代社会において、格闘技は競技として以外は存在理由が徐々に薄くなってきている。なぜなら、どんなに実戦を想定してもシュミレーションはシュミレーションである。それを試す場は稀であり、日常生活で外からの攻撃ばかりを常に意識するのは、あまり健康的とは言えない、また、銃や刃物が蔓延した社会では、徒手による抵抗は無力である事が多く、よりいっそうの危険を孕む場合もある。勿論、危機意識を持ち、暴力に抗する為、体力を高めたり護身術を習う事は否定しない。また、実戦想定型の格闘技であっても、ある程度はスパーリング、そしてさらに自分の能力を厳しく試さなくてはならない『試合』を試さなくては勘違いや自己満足を生みかねない。また、対人的鍛練を積まなくては、肝腎の実戦力の向上も望めない。ともあれ、格闘技が競技として社会での認知が進んでいる現在、さらなる浸透、発展を目指すべきなのは明らかである。
 そうであれば、競技としての格闘技をメインストリームとして、それ以外は『武術』と区別して呼ぶのが正解なのではないか。さらには、格闘技をスポーツとした場合、各々の競技を格闘技という集合名詞で呼ぶのは不自然であり、本来の競技の名で呼ぶのが筋ではないか。野球やバスケの選手を球技の選手とは言わないし、場合によっては失礼にあたるだろう。
 しかし未だに格闘技という言葉は、スポーツ化が進んだ今も、幻想をはらんでいる。どのジャンルが一番、強いかとか、素手で戦えば、誰が最強かといったたぐいである。前者は野球とサッカーのとちらが強いかと比較しているようなものだし、後者は喧嘩などは、どちらが先手を取るか、その場の状況、凶器の有無によって大きく左右されるものだ。格闘技の技量が高ければ有利になるものではないし、チャンピオンもランカーも肝心の体力は大差はないのだ。むしろ、トップ選手のパフォーマンスは競技だからこそ表現できる、喧嘩などでは表せない高度で芸術的なものだ。
 しかし、格闘技は直接、相手を攻撃し、ダメージを負わせ勝敗を決するもので、素手の喧嘩に最も近いスポーツであることも事実である。また、実戦想定型の武術の流派のいくつかがストリートファイトのイメージを売り物として来た事も否めないだろう。また、初心者への門戸が未だ狭い反面、興味本意のプロの露出が多いのも事実である。現時点で格闘技はメジャースポーツになりきれず、スペクテイタースポーツの一面を拭い切れずにいるのが現状である。


  ともかく、格闘技が負のイメージを払拭するには、それでは、スポーツとしてメジャーを志すしかないであろう。そのために何が必要かを考えたい。
 まず、ここで言う格闘技を、あえてキックボクシング、MMA、グラップリングの三つに限定し、ボクシングや大相撲など、すでに統括団体が確立されたものは除外する。事実、ここ十年来の格闘技ブームは、キックボクシングや柔術を母胎としたK-1やUFCなどのイベントがリードしてきている。さらには格闘技の技の体系からも考えても、当て身競技の究極(全ての有効な技を有するという意味で)はキックボクシングで、組み打競技の究極(同じく集合体という意味で)はグラップリングであり、その集合体がMMAであることは、現代では定説である。
 さて、三つの競技のうち、グラップリングは、まだプロの興行は、あまり盛んでないが、キックボクシング、MMAはプロの興行はかなり、世界的に行われて来ている。しかし、プロ、アマ共に中央に権威のあるコミッショナーが存在していないし、その展望も今の所ない。ならばどう対処していくべきか。中央に統括コミッショナーを持てないのは、オリンピックスポーツと比較すれば、よく分かるが、メジャー化の為には、大きな支障となってくる。現状では、最大のメジャー団体を中心に、いくつかの興行団体が支え、アマチュアもそれに準じていく形となっている。今の所は他に有効な形態は見つからない。それならば、全てを伴う事は無理でもいくつかの団体が共通のコミッショナーを持つ事を模索するべきではないか。そして交流を行う中で共通のルールとランキングを導入していくべきだろう。その為にも団体間の対立だけは避け、常に対話できる姿勢だけは整えるべきである。
 特にアマチュアにおいては、各競技に統一のコミッショナーを作れないものか。しがらみの多いプロのキックボクシングの世界だが、アマチュアに限れば、さしたるヨコヤリはないのではないか。アマの試合が増えれば選手の育成の強化になるのは勿論、プロまで進出するまでもないが試合は経験したいという需要には恰好である。ひいては、選手層とファンの拡大に繋がるであろう。アマ層の充実は、競技のメジャーには最重要事項なのである
 次にプロのMMAの課題を考えたい。MMAにはリングとオクタゴンという二種類の競技場があり、どちらにも特色があって、これを統一するのは難しい。しかし、メジャー団体が各々ひとつになり、競技場の違いをルールの違いととらえ、それぞれのタイトルを尊重すればよい。競技場の違いとそれに伴った事以外はルールの統一を目指すべきだ。同じ競技で細かいルールの違いが多々あっては、メジャー化など望める訳がない。ただ格闘技は大きな危険を伴うスポーツなので、アマの初級レベルは安全性を重視したルールを制定し、レベルに伴いルールの拘束を緩めて行くべきである。
 キックボクシングに関しては、国内ではK-1が最もメジャーであり、世界のマスリング目指し進みつつある。しかし、K-1はイベントとしての成功を目指すあまり、いくつかのルール上の問題を抱えている。まず、膠着をなくしKO率を高める為、首を取っての膝蹴りを禁止している。防御の為に首を取ることに厳しいペナルティーを与える事は、ひとつの方向として否定しないが、全てを禁止してしまっては、コアなファンが鑑賞するには深みが足りない気がする。また、ムエタイの選手には、得意の肘打ちを禁止された上、膝蹴りも大きく限定される。現行のルールでは、パンチの得意な選手が有利でハイキックを決めるのも恐らく難しく、選手の適正も限定されはしないか。もうひとつは、見栄えのよさと迫力を重視し、体重制が大まかである事だ。ご存知の様にK-1は、当所、無差別級のみのトーナメントとして行われて来た。一般人気を確立してから、中量級をスタートさせたのは、方向としては正しいと思うが、今後は更なる体重制を確立してほしい。また、今の所、中量級のトーナメントは70キロに統一しているが、ワンマッチに限っては、必ずしも、そこに合わせる必要はなく契約体
重を採用すべきだ。そうすれば減量の為、トーナメントで力を発揮できない選手も本来のパフォーマンスを発揮出来るだろう。以上の問題は、選手層を支えるキックボクシングの世界との密な交流を阻んでいる。さらなるメジャー化の為、是非ともトーナメント王座とは別の各体重のタイトルとランキングを制定してほしい。もうひとつ贅沢を言わせてもらえれば、ムエタイルールの王座も制定できないだろうか。ルールの統一から考えると矛盾するようだが、それが厳しい以上、レスリングにフリーとグレコローマンがあるように、どちらのルールも共存して行く為、メジャーリングのK-1にこそ、一肌脱いでもらいたい。
 

レンタル掲示板
/1